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京都地方裁判所 昭和27年(ワ)410号 判決

原告 観山雪洲

被告 学校法人竜谷大学

主文

原告が被告の設置する新制竜谷大学、及び旧制竜谷大学文学部の教授であることを確認する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求原因として、原告は昭和二十七年三月二十八日までに三十二年間被告に雇傭され、その設置する大学に勤務し、当時はその新制竜谷大学及び旧制竜谷大学文学部の教授であつたものであるところ、被告は同日原告を解職する旨の辞令を原告に郵送して、原告を解職したと主張しているので、原告が被告の設置する新制竜谷大学及び旧制竜谷大学文学部の教授であることの確認を求めるため、本訴に及んだと述べ、被告の抗弁事実に対して、

一の主張事実の中、原告が竜谷大学教員適格審査委員会(以下単に委員会と略称する)の委員長をしていたこと、及び被告が同月二十七日に原告に対して解職の辞令を発送し、これが翌二十八日に原告に到達したことは認めるが、原告が委員会の会計事務を掌理していたとのこと、原告が委員会に関してした支出の中に正当でないと認められるものがあつたとのこと、及び評議員会や理事会において原告を解職する旨の決議がなされたとのことは否認する、仮に右の決議がなされたとしても、その際被告が本訴において主張するような事実が解職事由となつたことは否認する、被告主張の評議員会及び理事会が開催されたとのことは争わない。

二の1の主張事実の中、支出総額金二十万円、支出総件数二百五十九件の中、別紙目録記載の百九十八件、金七万八千百九十三円について、領収証を取つていないことは認めるが、その余の事実は否認する、被告の主張する領収証のない支出は、いづれもその性質上領収証の取れなかつたものか、渉外費や調査費のように機密保持上領収証の取れなかつたものである、従つて原告としては、これを明らかにするために、自己の会計簿に日々の収支を整理記帳していたのである、車内で市電の回数券を買うとき、駅で切符を買うとき、或は使者に心付を支払うとき等に一々領収証を要求する馬鹿があるだろうか、要は社会通念と取引の実際とに照らして決すべき問題である、被告においてもかゝる場合には領収証を取つていないのが通例であるのにかゝわらず、これを取上げて解職理由とするのは不当である。

二の2の主張事実の中、委員会の委員、幹事、その他の者(以下単に委員等と略称する)に対して、渉外費調査費の各自立替清算払として、合計金四万八千二十五円を支出したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する、委員会の必要とした資料のしゆう集及び調査は、京都軍政部及び第一軍団の指令によつて急を要し、これに要する渉外費調査費等の機密費が、欠くべからざるものであつたことは、軍政部及び被告の学長訴外森川智徳(以下単に森川学長と略称する)も了承しており、森川学長はこれを訴外宗教法人本願寺(以下単に本願寺と略称する)から取出して支給することを約束したのである。然るに森川学長は何故かこれをせん延したゝめ、昭和二十三年六月二十一日から同年七月二十日頃までの間の最も重要な調査期間中は、委員等が自費を立替えて渉外調査の事務に当らなければならなかつたのである、ところが渉外調査等の行動は、機密に属し、互に迷惑を来す虞があつたことから、報告しなくてもよいことになつていたゝめ、委員等の中、約半数は立替費の支払を原告に要求したが、他の約半数はこれをしなかつたので、委員全員の了解のうえでこれを委員等各自に公平に支給することゝしたのである、そして委員会の書記であつた訴外鈴木宗憲(以下単に鈴木書記と略称する)が、領収証を取つてこれを委員等に支払つたのである、被告の主張するところは全くの虚偽であつて、原告が本訴を提起した後に種々の策動をしているのである、このことは、被告が昭和二十七年七月二十一日の準備手続期日に同年六月二十三日付の準備書面に基いて、この点についての詳細は次回までに明確にすると陳述しておきながら、同年十月二十四日の準備手続期日に至つても、何等明確にしていないことによつても明らかである。

二の3の主張事実の中、委員会の委員であつた訴外月輪賢隆(以下単に月輪委員と略称し、他の委員のときも同様とする)に報酬金二千円を支払つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二の4の主張事実は、すべて否認する、委員会の旅費基準は、予め森川学長に申出てその了承をえ、これに基いて予算書を作成し、これを本願寺に提出して了承をえたものであつて、旅費の支出はこれによつたものである、仮にそうではないとしても、委員会は後記のとおり学内のものではなかつたのであるから、その運営については森川学長の指揮監督や学内の規程等には拘束されずに、委員会の決定又は委員長の裁決によつたのであつて、旅費の支出はいづれもその実費であつたのである、仮にそうではなくて旅費規程によらなければならなかつたものとしても、被告の当時の旅費規程によれば、教授の宿泊料は金五百円、手当は金百四十円であつたのであつて、これでは旅館に宿泊したりすることは不可能であつたのであるから、実費を支出したとしても不当ではないのである、たゞ原告と委員会の幹事であつた訴外野村純孝(以下単に野村幹事と略称し、他の幹事のときも同様とする)とが昭和二十三年六月二十九日に東京に出張した際の旅費は、右規程の額を超えていないが、これは旅館への宿泊を避けて野村幹事の知人宅へ宿泊させて貰つたゝめである。

二の5の主張事実の中、原告が被告が主張するとおりの金額を支出していることは認めるが、その余の事実は否認する、原告は同年十一月六日から十四日までの間帰省し、自坊及び組合寺院の法務を果していたところ、委員会の決定によつて同月十日の一日だけ委員会に出席することを要求されたゝめ、これに従つて氷見京都間を往復したのであつて、私用のためではなかつたのである、なお原告としては、当時の汽車賃がいくらであつたかは記憶していないが、被告主張の金額は、汽車賃、片道の急行券代、及び審査資料を手荷物にした費用等の合計であつて、誤りはない。

二の6の主張事実の中、原告が被告の主張するとおりの金額を支出していることは認めるが、その余の事実はすべて否認する、金額が過大であるか否かは当時の状況及び事情によつて決すべきものであるところ、委員会が実施した教員適格再審査の事務は、被告の怠慢と過失とに基いて発生した不快な仕事であつたので、これに関係のない他人を使役することは申訳がないこと、炎天下のいとわしい使いには十分報いたいこと、明石委員が草取りのための女人夫の賃金が食事付で一日金二百円であると言つていたこと、及び円滑に用件を整えるべきこと等を勘案して、金二百円ということに決めたのである、被告は特に打電使者の心付金二百円と、プリント斡旋料金九百七十三円とを指摘して不当も甚だしいと言うが、前者は炎天下の真昼頃、往復三里にわたる距離にある郵便局へ急走打電させたことに対しての心付であつて、決して過大なものではないのであり、後者は資料その他重要書類のプリントが機密を要したので、夜間作業をして貰つたところ、遅々として進まず委員等の事務に支障を来すとの報告があつたので、委員等に対してと同様日々アイスキヤンデー等を呈して激励した実費である。

二の7の主張事実の中、原告が被告の主張するとおりの金額を支出していることは認めるが、その余の事実は否認する、被告は渉外費を旅費の中から支出すべきものであるとの前提のもとに、背任的であると主張するが、甚だしいびゆう見である。宿舍のこと及び物品の贈呈先は、委員会が決定したものであり、又私的交渉のためではなく、委員会の用務のためであつたのである。

二の8の主張事実の中、原告が被告の主張するとおりの金額を支出したこと、及び旅費、渉外費として被告の主張するとおりの金額を受取つていることは認めるが、その余の事実は否認する、被告は所論の金六百二十円を旅費や渉外費の中から支出すべきものであるとの前提のもとに、不当な支出であると主張するが、甚しいびゆう見である、東京案内心付は、原告が帰省中に文部省の召電を受けて上京したゝめに、幹事を帯同することができなかつたので、案内者を必要としたことによるものであり、又地図や電車案内を買つたのは、万一の場合のために必要であつたからである。

二の9の主張事実の中、原告が被告の主張するような金額を支出したことは認めるが、その余の事実は否認する、弁護士に対して菓子料を必要としたのは、委員会では判断することができない重大な場面に当面するに至つたので、委員会の決定によつて弁護士に相談を持込んだためである。すなわち当時京都軍政部及び文部省が最も重視していた本願寺戦時教学指導本部の綱領、趣旨等の書類を、本願寺が紛失したとの口実で提出せず、しかも執行長であつた訴外朝倉某が書出した趣意書は、昭和二十一年度に行われた教員適格審査記録や明石委員の供述によると、本物とは全く異つたものであることが明らかとなつたゝめ、軍政部の意向もあつて検察庁云々の問題にまで進展したこと、訴外大友某を政令第六十二号違反として告発せよという文部省の意見があつたこと、及び同訴外人の調査表に故意の脱落事項があつたことについての認証を、森川学長が拒んだこと等、委員会のみの判断では処理できないことがあつたからである。

二の10の主張事実の中、原告が被告の主張するとおりの金額を支出したのにかゝわらず、領収証の金額が被告主張のとおりとなつていることは認めるが、その余の事実は否認する、その差額金二百二十円については、次のような理由によつて領収証がないのである、すなわち当時必要としたプリントの作業は、幹事等の合議の結果、金一万円で引受けるものがあればそれは安い、とのことであつたので、鈴木書記に、金一万円で請負うものがあれば依頼してくれと頼んでいたところ、鈴木書記がこれを金一万円で訴外管井某に引受けさせたのである、そこで原告は、当時金一万円の現金を所持していなかつたので、これを三回に分割して支払つたものである、ところで委員会では、前記のとおり機密費事項に関する支出はすべて領収証を取らないたてまえであつたが、昭和二十三年七月二十四日に突然本願寺から、中間報告を求められ、かつ領収書の呈示を要求され、これに応じなければ残余の金十万円を支給しないとのことであつたので、鈴木書記をして領収証を取らせたところ、その額が実際の支出額金一万円よりも金二百二十円少なかつたのである、原告としては、右金二百二十円は前記の理由から、引受けたものが自由にしてよいものと思つたので、取上げて問題にしなかつたのである。

三の主張事実の中、被告にその主張のとおりの停年の定めがあることは認めるが、平均賃金の支払が解職の要件ではないとのこと、平均賃金支払の債務が取立債務であるとのことは否認する、原告を解職した法的根拠が民法第六百二十八条であるとのことは争わない、その他の雑多な主張はすべて争う、被告は停年の定めがあることをもつて、期間の定めのある雇傭契約であると主張するが、これは同法にいわゆる雇傭契約の期間ではない、仮にそうでないとすれば、停年の定めは労働基準法第十四条に違反して無効となるから、結局期間の定めのない雇傭契約といわざるをえないのである、原告は被告から解約の申入を受けたことはない、会計上の不始末を理由としてした懲戒免職に、何故被告が苦しい主張をしなければならないのか、その理由が判らない、解職しておきながら、解職者自身にもその理由が判然せず、右顧左へんせざるをえないのは、如何なる理由によるものであろうか。

四の主張事実の中、被告がその主張の日にその主張のとおりの金員を送付するとともに、解職した旨の通知をし、同日それが原告に到達したことは認めるが、その余の主張事実は否認する。

と述べ、更に仮に被告の主張するような事実があつたとしても、それは民法第六百二十八条にいわゆる、已むをえない事由に該当しない、すなわち、

(一)  委員会は、被告の内部機関ではなく、昭和二十二年五月一日付文部省訓令第三号、教職員の適格審査をする委員会に関する規程(以下単に文部省訓令と略称する)に基いて、文部省が設置した一種の国家行政機関であつて、文部大臣の所管に属し、文部大臣官房適格審査室で統轄されていたものであるから、被告乃至その学長は委員会に対する何等の監督権をも持たなかつたのである、従つて被告には原告が委員会の委員長としてした行為を取上げて、これを問題にする権限はないのである。被告は委員会が被告の内部機関であつたと主張するが、被告の学則や寄附行為にはその根拠はない、被告が右のように主張するのは、文部省訓令に、委員会は大学長が大学別にこれを設け、大学長が委嘱する五名の委員で組織するとあるのを取上げたためであろうが、大学の学部教授を審査する、大学教員適格審査委員会の設置及び委員の委嘱を大学長の責任としたのは、従来、大学の学部教授等に関する限り教授会の自治が認められていたため、そうしたのであつて、このことは何等原告の主張を左右するに足るものではないのである、なお大学の職員や、予科、専門部等の教員を、文部大臣の委嘱した委員によつて組織された教職適格審査委員会で審査したことに比較してみても、被告の主張は首肯しえないことが明らかなのである。

(二)  仮にそうではないとしても、被告の主張する金二十万円は、本願寺から委員会に贈与されたものであつて、その使途等については被告の会計規程によらずに、委員会独自の案に基いて計画され、森川学長もこれを了承していたのであつて、被告が所論のようなことを取上げて原告を論難することはできないからである。

(三)  仮にそうではないとしても、右金二十万円は機密費としての性質をもつていたものであるから、その使用方法は委員会の裁量に委されていたのであり、その支出内容は何人にも報告する義務はなく、又してはならなかつたものなのである。従つて被告からその支出の不正不当等を云々されるべき筋合のものではないからである。原告が本願寺の会計検査を受けたのは、これを強制されたためであつて、機密費でなかつたためではない。

と述べ、再抗弁として、仮にそうではないとしても、本件解職は信義誠実の原則に反し、権利の乱用であるから無効である、すなわち、被告が原告を解職したのは、原告が委員長としてしたいわゆる第二次適格審査事務によつて追放された一部の人々の報復手段として利用された、森川学長の残忍な政治的弾圧であるうえに被告が常識的には考えられないような虚構の事実や、些細なことをとらえて、会計上の不始末と称し、世人一般に一応無理からぬと思われるような動機も理由もないのに、三十余年間勤続した大学教授である原告を、その弁解もきかずに、しかもその留守中に一片の紙片をもつて解職しているからであると述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として、原告主張の事実中、原告が昭和二十七年三月二十八日までに三十一年間被告に雇傭され、その設置する大学に勤務し、当時はその新制竜谷大学及び旧制竜谷大学文学部の教授であつたこと、被告が同日、原告を解職する旨の辞令を、原告に郵送して原告を解職したと主張していることは認めるが、その余の事実は否認すると述べ、抗弁として、

一、原告は委員会の委員長として、金銭出納事務を掌理したのであるが、原告のした支出は、後記のとおり正当でなかつたので、同月二十三日午後一時に被告学則第五十一条に基いて、評議員会の議決を経、更に同月二十五日午後三時に被告寄附行為第十六条第六号に基いて、理事会の決議を経、原告を懲戒免職し、同月二十七日に原告に対して解職の辞令を発送し、右書面は翌二十八日に原告に到達したのである。

二、原告のした支出の中、正当でないと認めたものは、次の諸件である。

1  原告は森川学長や被告の会計課長訴外登世岡寿雄(以下単に登世岡会計課長と略称する)より、しばしば領収証を取るように注意を受けていたのにかかわらず、支出総額金二十万円支出総件数二百五十九件の中、別紙目録記載の百九十八件、金七万八千百九十三円について、領収証を取つておらず、しかもその使途が不明であつて虚偽の支出である。

2  原告は、委員等に対して渉外費及び調査費の各自立替清算払として、合計金四万八千二十五円を支払つたことにしているが、委員等は立替をしたことも立替費の支払を請求したこともない、殊に訴外匹田従子、同大久保輝子等は、委員会の事務員であつたのであるから、調査費や渉外費の立替がある筈がないのみならず、月輪委員は金二千八百五十円、明石委員は金千九百円を、いづれも受取つておらず、他の委員等も受取つていないものと思われる、仮に原告が前記金四万八千二十五円を、現実に支払つていたとしても、委員等は前記のとおり立替をしたことも、立替費の支払を請求したこともないのであるから、支払金は手当乃至慰労金の性質を持つものと思われるのであつて、果してそうであれば、原告としてその中から所得税を控除してこれを納入しなければならないのにかかわらず、これをしていないのであるから、原告の行為は税法違反の行為といわなければならないのである。

3  原告は昭和二十三年十月頃に、報酬金として、月輪委員に金二千円を支払つたことにしているが、同委員は金千円しか受取つていない。

4  原告は、森川学長及び登世岡会計課長から、旅費の支出は被告の旅費規程によるように、しばしば注意を受けておりながら、これを無視して過大な支出をしている、当時の被告の旅費規程によれば、宿泊料は金二百八十円、日当は金八十円、汽車賃は三等実費であつたのであり、又東京、京都間の往復切符と急行券との代金は、金三百九十円であつたのである。

5  原告は、同年十一月九日にその郷里氷見と京都との間の往復旅費として、金六百八十円、その他車中雑費として金百八十円を支出しているが、これは私用のために公金を費消しているものであり、しかも当時における右往復旅費は、金四百八十円であつたのである。

6  原告は、使者心付として度々金二百円を支出したことにしているが、いづれも措信できない。仮に真実支出したものであつたとしても、当時における教員の給料と比較し、社会常識に照らして考えると、不当に多額である、殊に打電使者心付金二百円、プリント斡旋料金九百七十三円等は、不当も甚だしく背任的である。

7  原告は、同年六月三十日に東京へ出張した際、旅費の外に渉外費として、金三千百二十円を支出して宿舍、知人等への贈呈物品代に充てているが、これらはいづれも旅費の中から支払うべきものであるから、背任的である。

8  原告は、同年八月に東京案内心付として金五百円、東京地図及び電車案内の代金として金百二十円、合計金六百二十円を支出しているが、旅費として金三千円、渉外費として金六百円、合計金三千六百円を受取つているのであるから、右金六百二十円は不当な支出である。

9  原告は、同年七月二十五日に弁護士に対する菓子料として金千円を支出しているが、委員会においては弁護士に相談するような必要はなかつたのであるから、措信できず、不正なものといわざるをえない。

10  原告は、プリント代として金一万三千六百円を支出したことにしているが、領収証の金額は合計金一万三千三百八十円となつていて、その間に金二百二十円の不明なものがある。

三、被告が原告を解職した法的根拠は、原告と被告との間の雇傭契約には、満六十五才をもつて停年とする旨の期間の定めがあつたのであるから、民法第六百二十八条である、仮にそうではないとしても、同法第六百二十七条第二項による解除として有効である。すなわち、同条項は報酬が六箇月未満の期間をもつて定められている場合においては、解約の申入は当期の前半において次期以後に対してなすべき旨定めているところ、本件解約の申入は昭和二十七年三月二十七日になされており、同月の前半においてなされていないのであるから、その意思表示の効力は、次期の四月からは生じないが、五月一日からは生ずるものと解すべきであるからである、なお労働基準法第二十条は、期間の定めのない労働契約であつて、しかも労働者の責に基かない職解の場合にのみ適用されるものであり、しかも同条の平均賃金の支払は、解職の要件ではなく、使用者に課せられた義務であるのにすぎないから、被告がその支払をしなかつたとしても、原告を解職した効果に影響を及ぼすものではないのである、殊に被告においては、教職員その他の者に対する給与は、被告の会計課に出頭して請求する者に対してのみ支払われているのであるから、原告が前記平均賃金を受取らなかつたとしても、それは原告が請求をしなかつたからであつて、被告の責任ではないのである、同条項は、被告の右支払方法を変更したものではないのである、そして被告のした解職は、平均賃金を支払う義務があるとすれば、支払う意味の解職であることはいうまでもないところである、なお被告が原告に退職給与を支給しなかつたのは、被告の退職給与内規第六条に定める、不都合な行為による免職に該当するからである。

四、仮に民法第六百二十七条第二項による解除について、労働基準法第二十条の適用があり、かつそれが持参債務であるとしても被告は同年六月十九日に、同年四月分の給料税込金一万七千五百六十一円を、原告に送付するとともに、解職した旨の通知をし右金員及び通知は同日原告に到達したのであるから、同年三月二十八日にした解職は有効になつたものである。

と述べ、原告の主張事実に対して、

(一)の主張事実の中、委員会が文部省訓令に基いて設置されたものであることは認めるが、その余の事実は争う、委員会は、被告の学長が設置し、その委嘱による委員で組織された被告の機関であり、国家機関ではなかつたのである、国家機関であつたのであれば、委員の任命権者は国であつた筈である、被告の学則や寄附行為に根拠がないとのことや、大学の職員や予科、専門部等の教員の審査が教職適格審査委員会でなされたとのことは、委員会が国家機関であつたか否かを決める根拠にはならない、仮に委員会が国家機関であつたとしても、その職務の執行について不正があれば、被告としてはこれを取上げて問題にすることができるのである。

(二) の主張事実はすべて否認する、金二十万円は、被告が本願寺から受領し、これを委員会に支給したのである。

(三) の主張事実の中、原告が本願寺の会計検査を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する、機密費であれば費用の報告や決算書を提出する必要はないのにかかわらず、原告は昭和二十三年七月に費用の報告をしており、又昭和二十四年六月に決算書を提出しているのであつて、このことによつても前記金二十万円が機密費でなかつたことが明らかなのである。

と述べ更に原告の再抗弁事実を否認し、昭和二十七年三月二十三日午後一時の評議員会の通知は原告にもしたが、原告は欠席したので、そのまま決議がなされたものであると述べた。(立証省略)

理由

原告が昭和二十七年三月二十八日までに三十一年間被告に雇傭され、その設置する大学に勤務し、当時その新制竜谷大学及び旧制竜谷大学文学部の教授であつたこと、及び被告が同日原告を解職する旨の辞令を原告に郵送して、原告を解職したと主張していることは、当事者間に争がない。

よつて先づ、被告主張の一の事実について検討することとする。被告において、同月二十三日午後一時に評議員会が開催されたこと、及び同月二十五日午後三時に理事会が開催されたことについては、原告が明らかに争わないからこれを自白したものと看做すべきところ、成立に争のない乙第四、五号証、証人菊池達真の証言によつて真正に成立したものと認める、乙第六号証、同第七号証の一乃至三に、証人菊池達真、同登世岡寿雄、同森川智徳、同野村純孝の各証言によれば、評議員会においては竜谷大学学則第五十一条に基いて、理事会においては被告寄附行為第十六条第六号に基いて、それぞれ、原告は昭和二十三年六月末頃から同年十二月頃までの間に、委員会の委員長として、他の委員の忠言を聞き入れないで、委員会の会計事務を独断専行した、そして森川学長や登世岡会計課長から、旅費の支出は竜谷大学旅費規程によるようにとか、領収証を整えておくようにとかの指示や助言をしばしば受けていたのにかかわらず、旅費を旅費規程によらずに乱雑に支出し、又総支出額の三分の一以上の金額について領収証を整えておらず、更に一応領収証のある支出の中にも、例えばプリント代のように帳簿と領収証との総額が一致していないのみならず、一々の出金の期日や金額の相違しているものもあつて、原告の記載した委員会の収支に関する帳簿が如何に信用するに足らないかが十分に想察しえられるのである、これらのことは、原告の委員会に関する公金の取扱に重大な不始末があつたものというべきところ、原告は自己の非を認めないだけでなく、却つてあくまで自己の非をおおうために委員会は国家機関であつた等といい、更に甚だしきに至つては委員会が国家機関なればこそ、委員会は会計報告を文部省にしてすでにその是認を受けている等と、全然無根の事実をいい立て、しかもそれが無根の事実であることが明らかになつてもてんとして恥ずるところがない、従つて原告を懲戒免職にするのが至当であるとの結論に到達し、同日理事会において原告を懲戒免職処分に付したことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。而して、被告が昭和二十七年三月二十七日に原告に対して解職の辞令を発送し、これが翌二十八日に原告に到達したことは、当事者間に争がない。

そこで進んで、被告主張の二の事実について検討することとする。

原告は、被告が主張する二の事実は、いづれも右懲戒免職処分の理由となつていなかつたと主張するが、前段において認定したとおりその理由は抽象的ではあるが、結局原告が委員会に関してした支出が一般的に信用するに足らず、公金の取扱に不始末があつたというのであつて、被告が主張する二の事実を含んでいるものと認められるから、この主張は採用できないのである。

よつて次に、被告主張の二の事実を検討するについて前提となる、事実関係を概観することとする。成立に争のない甲第一号証、同第二号証の六、同第三号証の三乃至九、同第四号証の二、五乃至八、十乃至十五、同第五号証の二、同第六号証の二、三、同第七号証の二乃至七、同第八号証の四乃至二十一、二十三乃至三十一、同第九号証の七乃至九、同第十号証の二、乙第八号証の四乃至九、十二、十七、同第十一号証、同第四十七号証(一部)、証人森川智徳の証言によつて真正に成立したものと認める甲第十七号証、証人泉雄照正の証言によつて真正に成立したものと認める乙第八号証の十八に、証人中井玄英、同月輪賢隆、同真田有美(第一回の一部)、同鈴木宗憲の各証言、及び原告本人訊問の結果を綜合すれば、被告は昭和二十二年頃に、昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基く、教職員の除去及び就職禁止等に関する政令等により、委員会を設け、その設置する竜谷大学の教員のいわゆる適格審査をしたのであるが、昭和二十三年六月二十一日に京都軍政部民間情報教育課長訴外ケーズが、被告のした右審査が不充分であるから速かに再審査をすべき旨厳重警告したため、同月二十二、三の両日緊急教授会を開催し、当時委員であつた原告、明石委員、月輪委員、藤野委員、真田委員をして、再審査をなすべきことを決定し、委員会は同年七月一日頃に文部大臣から再審査命令を受けた、そこで委員会は、右委員、幹事五名、書記一名及び事務員二名をもつて、その頃再審査事務を始めるに至つた、ところで再審査には充分な資料のしゆう集をしなければならないのみならず、委員等は同年六月末頃からの暑中休暇中も日々出勤して、骨の折れる審査事務を遂行しなければならなかつたため、相当な額の費用が必要であつたので、委員長であつた原告がその旨を森川学長に告げて相談したところ、同学長もその必要を認め、原告に予算案の作成を従ようした、よつて原告は、委員等に対する手当を一人一日金二百円と計算し、渉外費、調査費その他を合わせて合計金二十万円位の予算案を作成し、委員等にはかつたところ、委員等は調査費の額を増やしたりしてこれを金四十万円位に修正した、かくて同月二十四日頃に委員全員で森川学長と接渉したところ、同学長は、同年七月十日頃に原告に、「委員等に対する手当が一人一日金二百円であることは多いとは思わないが、本願寺の他の委員会等の委員等も一人一日金百円の割合であるので、委員会のみ特別にすることはできない、しかし一人一日の手当が金百七、八十円位の手取になるように、予算の中で適当に操作したらよい、このことは腹の中において他人には言うな」という趣旨のことを言つて、結局人件費を一人一日金百円、その他を合わせて合計金二十二万四千六百五十円と予算案を再修正した、そしてこの金は、本願寺から被告に対する補助金として支払われることとなり、一時被告が立替えたこともあつたが結局、被告の会計課長又はその課員が森川学長の名で本願寺からこれを受取り、被告の会計課が管理し、必要に応じて原告が自ら又は鈴木書記をして、森川学長の許可をえて、これを右会計課から受領し、委員会に関する支出に充当したことが認められ、右認定に反する前顕乙第四十七号証、証人真田有美の証言(第一回)の各一部、及び成立に争のない乙第八号証の十三、証人佐々木才正の証言によつて真正に成立したものと認める乙第八号証の十四、十五、証人明石恵達の証言は、前記各証拠に照らして信用できないし、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

そこで進んで、原告主張の(一)の点について考えるに、委員会が文部省訓令に基いて設置されたものであつたことは、当事者間に争がないところ、前顕甲第一号証によれば、適格審査事務は行政事務ではあるが、委員会は被告の学長が設置したものであり、又その委員も同学長が委嘱したものであつたことが明らかであるから、委員会は被告の機関であつたものというべく、更に右甲第一号証に前段認定の事実を綜合して考えると、審査事務そのものについては被告乃至その学長の監督権も持たなかつたが、それ以外の事務、殊に会計事務については、被告乃至その学長に指揮監督権があつたものと認められるから、この主張は採用することができないのである。

更に進んで、原告主張の(二)、(三)の点について考えるに、前記認定事実によれば、前記金二十二万四千六百五十円は本願寺から被告に対する補助金として支払われたもので、機密費ではなかつたことが明らかであるから、これらの主張も亦採用することができないのである。

よつて、被告主張の二の1の点について検討することとする。原告が委員会に関してした支出総額が金二十万円で、その支出件数が二百五十九件であつたこと、及びその中別紙目録記載の百九十八件、金七万八千百九十三円について、原告が領収証を取つていなかつたことは、当事者間に争がなく、前顕乙第八号証の十七、十八(一部)に、証人登世岡寿雄、同鈴木宗憲の各証言の一部を綜合すれば、その頃、森川学長が原告に対して、調査費や渉外費については領収証が取れないが、それ以外のものについてはなるべく領収証を取るようにと言い、又登世岡会計課長が原告に対して、検査があるとうるさいから帳簿を必ず記載してくれと言い、更に原告の補助として会計事務をとつていた鈴木書記に対して、人件費については個人別賃金台帳に記載しなければならないから是非領収証を取つてくれ、その他のものでも取れるものについては、なるべく取るようにしてくれと言つたことが認められ、右認定に反する、前記乙第八号証の十八、証人登世岡寿雄、同鈴木宗憲の各証言の一部、及び原告本人訊問の結果は信用できないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そこでこれが原告を解職するについての已むをえない事由ということができるか否かについて考えることとする。先づ渉外費三十三件、金一万六千九百円、調査費三十二件、金一万二千九十円について考えるに、前記認定のとおりこれらの支出については、森川学長も領収証が取れないことを事前に承認していたのみならず、前顕乙第八号証の十七、十八、証人鈴木宗憲、同真田有美(第二回)の各証言、及び原告本人訊問の結果によれば、同月末頃に委員及び幹事の打合会を開いた際、渉外費や調査費についても領収証を取ることにすると、委員や幹事の誰が何処で如何なる調査をしたかということが領収証によつて判ることになり、教員相互間に気不味い思をさせ、トラブルの原因となる虞があるので、これらについては領収証を取らないこととする旨決定されていたことが認められ、他に右認定を動かすに足る証拠はないのであるから、原告がこれらについて領収証を取らなかつたのは当然のことであつて、原告を解職するについての已むをえない事由とはいえないのである。次に旅費九件、金一万八千七百二十二円、事務用品費八件、金三百九十四円、雑費五十四件、金二万千五百七円、交通費四十五件、金五千八百五十五円、及び通信費十七件、金二千五百五円について考える(プリント代で領収証のない金二百二十円については、後に判断する)に、前記認定のとおり、これらの支出については、森川学長や登世岡会計課長から、なるべく領収証を取るようにしてくれと言われていたのみであるうえに、これらの中には、交通費、電報料等の通信費、雑費等のように社会観念上領収証の取りにくいものが過半数を占めており、更に成立に争のない甲第十二号証の二、同第十三号証の二、三、五、六、八乃至十六、同第十四号証の二、四、五、同第十五号証の六、同第十六号証の二に、証人森川智徳、同登世岡寿雄の各証言を綜合すれば、被告の会計課においても、社会観念上領収証の取りにくいものについてはこれを取つていないこと、及びそうでないものについても相当数の領収証を取つていないことが明らかであるのであるから、これをもつて会計事務に経験もなく、又それを本来の職務としているのでもない原告を解職するについての已むをえない事由ということはできないのである。

被告は、これら領収証のない支出は、その使途が不明であつて虚偽の支出であると主張するので、この点について考えるに、これらの各支出が虚偽の支出であるとのことを認めるに足る証拠はなく、却つて前顕甲第七号証の二乃至四に証人鈴木宗憲の証言、及び原告本人訊問の結果を綜合すれば、これらの各支出は、原告又は鈴木書記がいづれも別紙目録記載のとおり、真実支出したものであることが明らかであるから、この点の主張は理由がないのである。

次に被告主張の二の2の点について、検討することとする。原告が委員等に対して渉外費、調査費の各自立替清算払として、合計金四万八千二十五円を支出したことにしていることは当事者間に争がない。被告は、委員等は立替をしたことも立替費の支払を請求したこともない、殊に事務員であつた訴外匹田従子、同大久保輝子等には調査費や渉外費の立替がある筈がない、又月輪委員は金二千八百五十円、明石委員は金千九百円をいづれも受取つておらず、他の委員等も受取つていないものと思われると主張するが、委員等が立替をしたことも立替費の支払を請求したこともないとの点はともかく、その余の右主張にそう成立に争のない乙第八号証の十三、前顕乙第八号証の十四、同第四十七号証(一部)、証人月輪賢隆の証言によつて真正に成立したものと認める乙第二号証、及び証人月輪賢隆、同明石恵達、同登世岡寿雄の各証言は後記各証拠に照らして到底信用できないし、他に右主張を認めるに足る証拠はなく、却つて成立に争のない甲第九号証の二、四、五、同第十号証の三、前顕甲第七号証の二(乙第十一号証と同じ)、乙第八号証の十七、十八(一部)、同第四十七号証(一部)、証人鈴木宗憲の証言によつて真正に成立したものと認める甲第二十一、二十二号証、証人武邑尚邦の証言によつて真正に成立したものと認める乙第八号証の十六、証人武邑尚邦、同野村純孝、同鈴木宗憲、同真田有美(第一回)の各証言、及び原告本人訊問の結果(一部)を綜合すれば、前記認定のとおり原告は森川学長から、委員等の手当は一人一日金百円ということに予算上するが、一人一日金百七、八十円位の手取になるように予算の中で適当に操作したらよい、旨承認をえていたので、その後に委員と幹事との打合会を開いた際、これを告げて相談した結果、出勤した委員等については一人一日金百五十円宛の調査費、渉外費を支払うこと、及び本願寺当局から会計を怪しまれないようにするために、各自が調査費や渉外費を立替え、その支払を要求したので支払つたということにすること等を決定したこと、そしてこれに基いて、同年七月二十日に第一回分の支払を準備したところ、それでは金が足らなくなるとのことであつたので、その頃にこれを一人一日金百円に減額した(但し、月輪委員の分は減額した分を差引くことを忘れた)、そして同日合計金二万五千五十円を、更に同年八月三十一日に第二回分として合計金四千六百七十五円を支払つたこと、同年十二月中旬頃に委員と幹事との会合を開いた際、明石、真田、藤野各委員等から、同年九月分以降の調査費、渉外費として、委員会に残存する金を分配してはどおかとの提案があつたので、相談した結果、これを分配すること、竝にその額は委員、星野幹事、及び鈴木書記は、各自金千九百円、その他の幹事は各自金千円とすることと決定し同月二十二日に第三回分として合計金一万七千三百円を支払つたこと、月輪委員に対する第一回分の金二千八百五十円は、鈴木書記が同年七月二十五、六日頃に竜谷大学において、同委員に手渡したこと、及び明石委員に対する第三回分の金千九百円は、同年十二月二十二日頃に、真田委員を通して明石委員に手渡されたことが認められるのであるから、右主張は採用することができないのである。そうすると、原告の行為は被告の主張するように、当時の所得税法第三十八条に違反することになり、何人も法律に違反するような行為をしてはならないことはいうまでもないが、原告は被告の哲学の教授であつて給与等の支払をすることを本来の職務とするものではなく、又このことによつて、被告に何等かの損害を与え、若くは原告を解職しなければ被告が困るというような事情も認められないのであるから、これをもつて原告を解職するについての已むをえない事由ということはできない。

次に被告主張の二の3の点について、検討することとする。原告が月輪委員に対して報酬金として、金二千円を支払つたことにしていることは当事者間に争がないが、被告の主張にそう前顕甲第十号証の三(一部)、乙第二号証、同第四十七号証(一部)、及び証人月輪賢隆の証言は、後記各証拠に照らして到底信用できないし、他に右主張を認めるに足る証拠はなく、却つて、成立に争のない甲第九号証の三、六、前顕甲第十号証の三(一部)、乙第八号証の十三に、証人鈴木宗憲の証言を綜合すれば、鈴木書記が同年十月二十二日に月輪委員方において、所得税金四百円を差引いた金千六百円を同委員に手渡して支払つたことが認められるのであるから、この点の主張は採用するに由がないのである。

次に被告主張の二の4の点について、検討することとする。成立に争のない乙第四十一、二号証、前顕乙第八号証の十七、十八の各一部、証人登世岡寿雄の証言によつて真正に成立したものと認める乙第十五号証、証人森川智徳、同登世岡寿雄、同鈴木宗憲の各証言によれば、森川学長や登世岡会計課長が原告に、旅費は旅費規程によつて支出するようにと言つていたこと、当時の旅費規程によれば、教授については、汽車賃は三等実費、日当は金八十円、宿泊料は金二百八十円であつたこと、東京、京都間の往復切符と急行券との代金は、金三百九十円であつたこと、等が認められ、右認定に反する原告本人訊問の結果は信用できないし、他に右認定を動かすに足る証拠はない。而して前顕乙第八号証の十八に弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は旅費を旅費規程に則らずに支出したものと認められ、右認定に反する前顕乙第八号証の十七は信用できないし、他にこれを左右するに足る証拠はない。しかしながら、前顕甲第七号証の二(乙第十一号証と同じ)、乙第八号証の十八、証人鈴木宗憲、同登世岡寿雄、同野村純孝の各証言、原告本人訊問の結果(一部)、及び弁論の全趣旨を綜合すれば、原告が自ら出張した時は、汽車賃は三等実費を支払い、宿泊料もできるだけ節約してその実費を支払い、更に出張先で必要であつた自動車賃、電車賃、弁当代等もそれぞれ実費を支払つて、これを合わせて旅費としたこと、野村幹事、鈴木書記その他の者の旅費も、原告と同一の方法によつて支払つた実費であること、及び被告の会計課においても、旅費規程による旅費で足らないときは、その実費を支払つていることが認められるのであるから、これをもつて原告を解職するについての已むをえない事由とはいうことができないのである。

次に被告主張の二の5の点について、検討することとする。原告が同年十一月九日に、その郷里の氷見と京都との間の往復旅費として金六百八十円、その他車中雑費として金百八十円を支出していることは、当事者間に争がなく、成立に争のない乙第三号証の二によれば、氷見と京都との間の往復旅費が金四百八十円であつたことが認められるが、前顕乙第八号証の十七に原告本人訊問の結果を綜合すれば、右金六百八十円は原告が休暇で郷里氷見に帰つていたところ、同月十日に京都でいわゆる適格審査の結果の第五次発表についての委員会が開催されることとなつたので、それに出席するために必要とした三等往復切符代、片道急行券代、及び審査資料のチツキ代であることが明らかであつて、他に右認定が動かすに足る証拠はないのであるから、それだけでは、原告が右金員を私用のために費消したものであると断定するわけにはいかないのである。次に車中雑費金百八十円について考えるに、弁論の全趣旨からすれば、これは原告が車中で飮食したものの代金であると推認されるのであるから、私用のために公金を費消したものといわざるをえないのである。よつてこれが原告を解職するについての已むをえない事由に該当するか否かについて考えるに、原告本人訊問の結果によれば、原告は右金百八十円は適格審査に関する任務のため往復した結果生じた費用であるから、公費によつてもよいものと誤解していたことが明らかであるうえに、その金額も僅少であるのであるから、これに該当するものとはいえないのである。

次に被告主張の二の6の点について、検討することとする。原告が使者心付として度々金二百円を、又打電使者心付として金二百円を、プリント旋旋料として金九百七十三円を支出したことにしていることは、当事者間に争がない。被告はこれら使者心付の支出は措信できないと主張するが、これらの支出が虚偽であると認めるに足る何等の証拠もないのであるから、この主張は採用することができないのである。被告は更にこれら支出は不当に多額で背任的であると主張するので、先づ使者心付について考えるに、前顕甲第七号証の七(乙第八号証の十二と同じ)、乙第四十七号証に証人登世岡寿雄の証言、及び原告本人訊問の結果を綜合すれば、同年八月三日に支出した分は、原告が郷里の氷見で片道一里半位の距離の場所にある郵便局まで、電報を打ちに行つて貰つた際のものであり、同月二十四日に支出した分は、原告が郷里氷見で適格審査関係の資料を鉄道で送るについて、片道一里半位の距離の場所にある駅まで送りに行つて貰つた際のものであり、又同年十一月九日の分は、原告が郷里水里で適格審査関係の書類の入つた旅行用トランクを、片道一里半位の距離の場所にある駅まで運搬して貰つた際のものであること、森川学長が委員会の臨時手伝人に対する謝礼を、一人一日金三百円と定めていたこと、これらの使者、臨時手伝人等に対していくらの心付乃至謝礼を出すかは、予算の範囲内で原告の裁量に一任されていたこと、当時の女の労働者の一日の賃金は、食事付で金二百円位であつたことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はないのであつて、これらの事実を比較検討すると、若干多いのではないかとも思われるが、不当に多額であるとはいえないのであるから、この点の主張も亦理由がないのである。なお前記三件以外の使者心付については、如何なる使者に対して支払われたものであるかが不明であるので、その当否を判断することすらできないのである。進んでプリント斡旋料について考えるに、前顕甲第七号証の三、乙第八号証の十七によれば、これは審査資料をプリントするについて、その世話をする人に酒一升を買つて謝礼とした費用であることが認められ、他にこれを動かすに足る証拠はないが、この支出が不当であるとのことについては、何等の証明もないのであるから、この点の主張も亦採用するに由がないのである。

次に被告主張の二の7の点について、検討することとする。原告が同年六月三十日に東京へ出張した際、旅費の外に渉外費として金三千百二十円を支出していることは、当事者間に争がない。被告は、原告は右金三千百二十円を、宿舍知人等への贈呈物品代に充てていると主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、却つて前顕乙第八号証の十七に原告本人訊問の結果を綜合すれば、これは原告が野村幹事と東京に出張する際、再審査の方法及びその基準をどの程度にするかが不明であつたので、これを文部省の訴外相良主事と同小倉事務官から聴くのについて、その進物用として買つた玉露二罐、チヨコレート、洋菓子各二箱の代金であつたことが明らかであるのであるから、この点の主張も亦理由がないものというの外はない。

次に被告主張の二の8の点について検討するに、原告が同年八月に、東京案内心付として金五百円、東京地図及び電車案内の代金として金百二十円、合計金六百二十円を支出したこと、及びその際原告が旅費として金三千円、渉外費として金六百円、合計金三千六百円を受取つていたことは当事者間に争がないが、右金六百二十円を支出したことが旅費や渉外費を受取つていたことの故に不当になるとのことを認めるに足る何等の証拠もないのであるから、この主張も亦理由がないものといわなければならない。

次に被告主張の二の9の点について、検討することとする。原告が同年七月二十五日に弁護士に対する菓子料として、金千円を支出したことにしていたことは当事者間に争がない。被告は、委員会においては弁護士に相談するような必要がなかつたのであるから、措信できず不正なものであると主張するが、これを認めるに足る何等の証拠もなく、却つて前顕乙第八号証の十七に原告本人訊問の結果を綜合すれば、これは適格審査事務に関し、戦時教学指導本部の記録を検察庁の力を借つて取出すことについて、弁護士である訴外清水兼次郎に相談したときの謝礼として買つた菓子代であることが明らかであるから、この主張も亦採用することができないのである。

次に被告主張の二の10の点について、検討することとする。原告がプリント代として金一万三千六百円を支出したことにしていること、及びその領収証の金額が合計金一万三千三百八十円となつていることは、当事者間に争がない。被告は、その差額金二百二十円は不明なものであると主張するので考えるに、前顕甲第七号証二乃至四に証人鈴木宗憲の証言、及び弁論の全趣旨を綜合すれば、本件において問題になつている領収証の不足は、同月十日に支払つたことになつている金三千円、同月二十一日に支払つたことになつている金五千円、及び同年八月五日に支払つたことになつている金二千円、合計金一万円の中の金二百二十円であること、領収証の金額が不足しているのは、原告の依頼によつて鈴木書記が訴外菅井某をして、プリント屋に原紙百枚で十部の印刷を金一万円で請負わせる交渉をさせ、その代金を三回に分割して同訴外人に支払つたのにかかわらず、同訴外人がプリント屋との間で金九千七百八十円で請負わせたために、領収証の金額が同額となつたものであること、及び鈴木書記が同訴外人に金一万円の領収証を持つてくるように交渉していたが、未だ持参していなかつたことが認められ、他に右認定を動かすに足る証拠はないのであるから、この点についての主張も亦理由がないのである。

以上のとおりであり、又これらを綜合して考えても、原告に民法第六百二十八条にいわゆる「已むことをえざる事由」すなわち被告に原告を引続いて雇傭すべきことを要求することが社会通念に照らして如何にも不穏当であると思われる程重大又は悪質な事由に該当する事実があるものとは到底いえないから、被告主張の第一次的抗弁はその理由がないものといわなければならないのである。

被告は、仮に第一次的抗弁が理由がないとしても、本件解職は同法第六百二十七条第二項による解除としては有効であると主張するので、この点について考えるに、被告が昭和二十七年三月二十七日に原告に対して解職の辞令を発送し、これが翌二十八日に原告に到達したことは、前記のとおり当事者間に争がなく、右解職が原告に公金の取扱についての重大な不始末があつたから、同法第六百二十八条にいわゆる「已むことをえざる事由」に該当するものとしてなされたものであることは、前記のとおりであるところ、同条による解除は、雇傭契約に期間の定めがあると否とを問わず、一定の事由があつて、その事由があるのにかかわらず、なお一日でも引続いて雇傭関係を継続すべきことを要求するのが社会通念に照らして如何にも不穏当であると思われるような場合には、直ちに契約を解除しえ、かつその効果を直ちに発生させようとするものであるのに対し、同法第六百二十七条は、労働基準法第二十条との関係上、雇傭契約に期間の定めがない場合においては、雇傭関係を継続することによつて不当に当事者を拘束することがないようにするために、何時でも解約の申入をすることができるが、その効果は三十日以上経過した時に発生するものとし、特に即時解雇の効果を発生させるためには、三十日分以上の平均賃金を現実に提供しなければならないとするものであつて、究極においては労働者の解職を欲求するという点で軌を一にするが、その法律的基盤竝に解職を求める実質的理由及び効果を異にするのであるから、前者の意思表示を後者の意思表示に転換してその効力を認める余地はないものと解するのが相当である。従つて、この点の主張も亦理由がないものというの外はないのである。

次に被告主張の四の点について、検討することとする。被告が同年六月十九日に原告に対して、その同年四月分の給料として、税込金一万七千五百六十一円を送付すると共に、解職の通知をし右金員及び通知が同日原告に到達したことは、当事者間に争がない。被告は、同年三月二十八日にした解職が右金員の送付、及び通知によつて有効になつたと主張するが、右解職は、前段説示のような理由によつて無効なのであるから、所論のような理由によつて有効になるものではないのである。従つて、この点の主張も亦理由がないのである。

以上のとおりであるから、爾余の点についての判断をするまでもなく、被告の抗弁は理由がないものというべく、従つて原告は依然として被告に雇傭されており、その設置する新制竜谷大学及び旧制竜谷大学文学部の教授の地位にあるものといわなければならないのである。

よつて原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 青木英五郎 石崎甚八 坂本武志)

(別紙省略)

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